夢追い人応援プロジェクト 応援者インタビュー

ソプラノ歌手 Yoko Maria マリア・ヨーコ yoko maria

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Soprano Angel Yoko Maria Official Website~ソプラノ歌手 マリアヨーコ オフィシャルウェブサイト~

―――― ソプラノ歌手を目指したきっかけを教えて下さい。

7歳の時に岩崎宏美さんの「聖母たちのララバイ」という曲を聴いたのがきっかけです。曲を聴いて、感動して涙が止まらなくなってしまって。「私、歌手になりたい!」と母に言ったのを覚えています。

それまでは習い事としてピアノをやっていたぐらいでしたが、本格的に歌手を目指そうと思ったのは、高校二年生の時です。本気でプロの歌手になろうと思って、音楽大学の受験を決意しました。

今の私は、人間の身体をそのまま楽器のように使うことは、声楽でしかできない、私たちの身体は、神様が生み出した最初の楽器なのだと思っています。そこに魅力を感じるのです。

―――― フィンランドに留学した理由を教えて下さい。

ピアニストの舘野泉さんの「激流」という曲を聴いてとても感動したんです。それは、ヘイノ・カスキというフィンランドの作曲家が作ったものでした。フィンランドという国に惹かれ始めたのは、それがきっかけです。

フィンランドの風景にもとても魅力を感じました。夏の白夜、冬の白銀の世界。雪が結晶の形のままで、ふわりふわりと降りてくるんです。

フィンランドは寒い地域ですけど、空気と水がきれいだから小さい白いお花が咲きます。それがとても可愛らしくて。本当に神様が作り出した自然を実感できる国だと思いました。

そして日本の声楽家はイタリア、ドイツ、フランス、ロシア、アメリカと色々な国の芸術オペラを勉強するのですが、なぜか北欧の歌曲が入っていない。皆さんご存知のシベリウスという有名な作曲家もいるのに、彼の曲を含めた北欧の芸術が、学ぶ対象になっていません。フィンランドの素晴らしい楽曲を日本にも広めたいと強く思いました。

―――― 知らない土地に一人で行かれることは不安ではなかったですか?

まず、フィンランドへ行くことは両親から猛反対されました。それでも私の決意は固かったので、一人で頑張って色々な準備をしました。日本に住んでいるフィンランド人の方を一生懸命探して、フィンランド語のレッスンをお願いしたりもしました。

そして、フィンランドで一番有名な声楽家の先生に、日本から師事したいという内容の手紙を出し続けました。フィンランドにも行って、先生のコンサートに毎回行って劇場出待ちしたりして。なかなか、いい答えはいただけなかったのですけれど、もう本当に一生懸命お願いして、遂にレッスンを受けることができるようになりました。その時の喜びは今でも覚えています。

日本にいる間は、習っていてもフィンランド語はあまり話せなかったのですが、現地に行ってからは話せるようになりました。フィンランド語の発音や文法は日本語と近いので、覚えやすいです。

フィンランドは、言葉以外の部分でも日本ととても似ていると思います。詫び、寂びのような抒情的なものをとても大事にする民族ですし、そして日本人と同じでシャイなんです。

―――― フィンランドでの体験を教えて下さい。

フィンランドで、よもぎサウナというものがあるんです。そのサウナで温まって、そのまま近くの湖に飛び込むことができる場所があって。綺麗な湖に、裸で飛び込むのは本当に気持ちよかったです。

他には、サンタクロース村やムーミン村にも行きました。どちらもとても楽しい場所です。

食事については、トナカイの肉にベリーを載せて食べるような変わったものもありましたが、割と世界中のものが集まってきている感じでした。私はどうしても日本食が恋しくなって、豆のスープなども作りましたが、材料を集めてお寿司を作って食べたりしていました。

また、フィンランドはとても外国人が少ない国でした。そのためか、割と鎖国的な空気があるように思いました。そのせいもあって、フィンランドの音楽家はフィンランドの素晴らしい音楽を外国に広めようとしないのではないかと感じました。それが日本にフィンランドの楽曲が普及していない理由のひとつかもしれません。

それでも、どうしても大好きなフィンランドで認められたいと思って頑張りました。フィンランド語、歌、センス、全てにおいてフィンランド人以上にならなければならないと思っていました。

ただ石の上にも3年というし、とにかく3年やってみてダメなら、活動の方向を変えようと思っていました。

それで、ある程度基盤が出来てからの3年間フィンランドの教会で歌を歌ったり、レッスンを受けたり頑張りましたが、これ以上は進めないと感じて環境を変えるために一時帰国しました。

帰国後は、日本ではなかなかシベリウスを含む北欧のフィンランド歌曲は受け入れてもらえずに、大変苦労しました。

―――― その後の活動について教えて下さい。

日本でフィンランドの曲を認められるためには、世界で認めらなければならない。まず、私自身が世界で認められれば良いのではないかと考えました。それで、チャイコフスキー国際コンクールに参加することにしました。

ロシア語の勉強をして、モスクワ音楽院に通いました。努力の甲斐あって、コンクールではモスクワ世界大会の日本代表になることができました。

その時の出場をきっかけに色々な出会いがありました。映画音楽、ジャズなどクラシック業界以外の方々です。

その方々とお話をしていて、ふとクラシックの枠を超えてみたいと思い立ちました。

クラッシックを今の時代に生きているみなさんにわかってほしいと思いました。オリジナルの詩を作って、曲を作っていただいたり、色々なジャンルとクラシックをコラボレーションした音楽を作りました。

そのことはとても楽しく、今までガチガチに頑張ろうと思って肩に入っていた力が、スッと抜けるように心が軽くなった感じがしました。

―――― ニューヨークのカーネギーホールでフルリサイタルをされたそうですね。

はい。これまでの色々な人脈があって、日本人としては2人目のカーネギーホールの単独フルリサイタルを行うことができました。

それは本当に素晴らしいことだったと思います。実際に、アメリカで仕事をして資本主義の妥協の無い厳しい本流というものを体感できたことも貴重な体験でした。

当日はお陰様で満席になりました。カーネギーの音響効果は抜群です。そして、百戦錬磨の技術者と奏者が一体になるというカーネギー伝説はまさにその通りだと思います。

来場された世界各国の方にも大変、喜んでいただきました。オペラアリアも、日本の代表曲としての「さくらさくら」などもブラボーと鳴り止まない喝采を浴びました。それは一生忘れられない感動的な思い出になりました。

けれど、その後は色々な様々な事象が続いてしまいまして。音楽以外のところで、頭を悩まされることが続きました。

その時読んだ本があります。そこに書かれていた言葉で、「人間の値打ちは、秘密をどれだけよく守れるかで決まる。その人が信頼できる人かどうかが、試される。秘密を話したがるのが本来の人間の弱さ。しかし、秘密を明かしてくれた相手の信頼を裏切るような弱い人間は成功に値しない。」という記述があり、それはカーネギーデビュー後の私が本当に実感したことでした。

「八方美人と呼ばれる人は、一見成功しそうにも思えるが、全てを得ようとするこの姿勢では、人生における真の果実を得ることはできない。」ということも感じました。

更に一番強く実感したのは、アーティストというものは、芸術家でありながら経営者でないといけないということです。周囲のあらゆる方々やあらゆる業界の気持ちを理解する必要があるし、芸術だけを追い求めているようでは、生き残れないのだと感じました。それで、法律の勉強を始めたりもしました。

人生には、おおよそ3年ぐらいで周期があると感じます。3年よい年があれば、その後の3年はつらい年が来る。その繰り返しだと思います。

ただ、辛い周期の時にマイナスな部分と戦うことは意味がないと思います。まともに相手にしては時間がもったいないし、自分にとっても大変なストレスになります。マイナスな部分はやりすごして、プラスに変換するように心がけています。

これは体調管理にも大事な要素だと考えているのですが、ストレスをためることが一番よくないです。

喉のためにと、しょうが湯を飲んでも、かりん湯を飲んでも、ストレスが貯まっていたら意味がありません。良い水や空気に気をつかうことも大事ですが、マインドがなにより一番大事です。嫌なことがあっても、矛盾にさらされても、気持ちをグッと押さえてポジティブ思考に変換しようと努力します。

「敗北から勝利が生まれる。成功を祝うと慢心する。」という言葉があります。「失敗したところにしか成功は生まれない。成功体験は慢心するだけ。だから成功の日は祝ってはいけない、失敗した日を祝え。」というのがユダヤ人のタルムードの教えだそうです。

なので私は失敗してもくよくよせずに、お祝いをしよう!といつも思っています。失敗した体験は、自分に成長をもたらすよいもので、成功した時よりも得られるものがはるかに多いと思っています。

これから同じ夢を目指す人達向けてのメッセージ

実は私の弟は障害をもっていたので、そのことで家族が上手くいかなかったり、周囲にもずいぶん冷たい対応をされた時期がありました。中学生の多感な時期には、生き方を間違えそうになった事もありました。

そのせいか、私は「目に見えないものを大事にしたい」と小さい頃から強く思っていました。

心だとか、思いやりとか、幸せとか、形のないものです。

今は震災があったり、不景気だったりして、日本の国力は下がっているように思えます。景気がよくないと、人々には芸術や音楽を楽しむ余裕がなくなってしまうのではないでしょうか。

私は、カーネギーホールを経験したことで、音楽よりも大事なことがあるのではないかと感じました。

表現者は、表現だけを突き詰めていればよい時代ではなくなってしまいました。これからは時代背景を見定めて、自分の立ち位置を知ること。それが本当に大事だと思います。

また、音楽を志すには人間性がとても大事です。そしてこの世の中は、矛盾だらけですが、皆様も音楽を通して自分や周囲の人々の幸せを追及をして行かれる事を願っています。

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